イチローが引退表明「後悔などあろうはずがない」唯一無二の存在である〝 証 〟
2019年3月22日 13時26分更新
日本、いや世界で今後、これだけ“ユニーク”な野球選手が登場するだろうか。
米大リーグ・シアトルマリナーズのイチロー外野手が21日、都内で記者会見を開き、現役引退を表明した。
数々の金字塔を打ち立て続けてきた野球界のレジェンドは、「後悔などあろうはずがありません」と晴れやかな表情で話し、日米通算28年間のプロ生活にピリオドを打った。
イチローが残してきた成績を振り返れば、改めて彼がどれほどのスーパープレイヤーであったかが分かる。
【米国での成績】
試合数:2653(37位)
打数:9934(30位)
得点:1420(89位)
安打:3089(22位)
二塁打:362(264位タイ)
三塁打:96(173位タイ)
本塁打:117(724位タイ)
打点:780(514位)
四球:647(437位)
盗塁:509(35位タイ)
打率:.311(68位)
出塁率:.355(339位)
長打率:.402(532位)
敬遠:181(26位)
死球:55(384位タイ)
犠飛:48(378位タイ)
塁打数:3994(93位)
長打数:575(361位タイ)
打席数:10734(47位)
イチローの凄さは、「安打数」という指標で語られることが多い。
日本でプレーした94年から00年まで7年連続で首位打者を獲得。00年オフにポスティングシステムを利用して大リーグのマリナーズに移籍し、その後12年途中からヤンキース、15年からマーリンズでプレーした。04年には大リーグの年間安打記録を84年ぶりに更新する262安打を樹立。09年には大リーグ史上初の9年連続200安打をマークした。そして16年6月、日米通算安打数を4257とし、参考記録ではあるもののピート・ローズの持つ大リーグ最多4256安打を抜き、歴代1位となった。また、同8月には大リーグ史上30人目、日本選手では初となる通算3000安打を達成した。
これだけみても、イチローが野球界にとって唯一無二の存在であることは理解できる。
しかし、彼がそれ以上に特異な存在であることを示す、ある1つの記録がある。それが「ゴロの数の多さ」である。
イチローが米国の19年間で記録したゴロのアウト数は3629個で、メジャー歴代1位の記録である。この数字がどれほど特異なのだろうか。
米国では昨今、「フライボール革命」の取り組みが普及している。フライボール革命とは、ゴロを避け、打球に角度をつけるように打つことを推奨する打撃論である。大リーグの公式の専門家が打球の速度と角度を分析した結果、打者が好成績を残している「バレルゾーン(Barrel Zone)」の存在を発見した。それによれば打球速度が158キロ以上、角度が30度前後の打球は8割がヒット、その多くがホームランになっているというのだ。
データ分析が進む大リーグでは、この分析結果が推奨され、「ゴロを打つ選手は活躍できない」と主張されている。
しかし、そのような風潮の中、イチローはまさにその「逆をいく存在」としてゴロを量産し、そして日米通算4257本のヒットを積み重ねたのである。
彼は引退会見で、「今思い返して最も印象に残っているシーンは?」と聞かれ、「いろいろな記録に立ち向かってきたけど、そういうものは大したことではない」と語った。彼にとっては、積み重ねてきた安打やゴロの数は何も特別なことではなく、野球を探求し続けた結果辿り着いた「必然」なのかもしれない。
また、イチローは会見で「イチロー選手がいない野球をどう楽しんだらいいか?」と聞かれ、以下のように語っている。
「僕が2001年にアメリカに来てから、現在の野球は全く別の違う野球になりました。頭を使わなくてもできてしまう野球になりつつある。選手も現場にいる人たちはみんな感じていることだと思うけど、これがどうやって変化していくのか。本来は野球というのは、頭を使わなければできない競技なんです。でも、そうではなくなってきているのがどうも気持ち悪い。野球の発祥であるアメリカがそうなってきているということに危機感を持っている人は結構いると思う。だから、日本の野球がアメリカの野球に追従する必要なんてまったくない。日本の野球は頭を使う面白い野球であってほしい。せめて日本の野球は決して変わってはいけないこと、大切にしなくてはいけないものを大切にしてほしい」
イチローは人一倍野球を愛し、人一倍野球のことを探求し続けた選手であろう。
その彼が残した功績や成績、データは、彼が主張する「面白い野球」を物語っているに違いない。
そして、彼が残してきたそれらの足跡こそ、28年間プロ野球選手として歩み続けたスーパープレイヤーからの、野球界に対する「大きなギフト」なのかもしれない。
平成の終わりとともに去る希代の天才打者、イチロー。
28年間のプロ野球生活、本当にお疲れさまでした。